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2007年6月

2007年6月28日 (木)

原因があるから結果がある。

原因があるから結果がある。

私と彼女との間の関係の中で彼女をここまでのさばらしてしまった私の態度価値の低さが結果として彼女が非常に未発達な成人のような態度にしてしまったのだろう。

かくして私としてはどうすることも出来ないので、このまま消えていくのみとします。これは彼女にとっては不利益なことでしょうか?

  私にとっては何の不都合もないのでいいのですが、彼女の現在の行動が結果として他の者達への不利益になっていることは少なからずあるかもしれません。

しかしながら、現行のやり取りは親密なる第3者が見ており、私としては彼女の行為の根底に私との過去のやり取りの結果であることはその人物の助言もあり、平静でいられることが救いである。

私の心の延長線に行動が存在する限り、そしてその行動は経験と学習として今後の生業に生かすことしかできないという普遍的な律の中で生きるのみといえる。

2_1関わりを絶てば良い事である事は承知の承知である。

全てが望ましい形であろうはずもないことは是非にもわかっていること。

形よくあろうとすればするほど型崩れし、見るも無残となる。

これが後に更に無残となろうともそれもまた、経験としてあり、墓場に持っていくしかないのだから。

外壮内観體育中心 蔡興仁

2007年6月26日 (火)

mi hijo

私には息子がいます。この息子は中学2年なのですが、只今受験に向けての進学塾なるものに通いだしています。とてもしっかりした塾なので安心していましたが、如何せんうちの息子は「嘘をついてまで遅刻をしたのが」ばれてしまいました。

私は息子をあまり怒鳴ったりしたことはなく、なんせ自分がされたことがないものですからどうしたらいいのか?分からず。ただ叱る程度ですね。

あぁ見えてもうちの息子は繊細らしく…きっと母親に似たのかな?いやいや神経質なところは私にそっくりなんですね。どういうわけか子というものは親の似て欲しくないところばかり似ているように感じてしまいますね。でも実際はまったく別の人格が形成されているはずなんですが…

私は塾に通ったことがなく、専ら家庭学習で、成績トップの姐々が家庭教師だったおかげでそんなに悪くはなかった。席次なんたら入試なんたらというのがなく普通に半ばなめてかかっていたのかな?ストレートだった。入試だの成績だので挫折したことがない。悪くてもあまり気にしない子供だったからな~。

Photoどういうわけか、教えてもいないのにそういうところは私そっくりな我が息子。

どうしようかな?変に嬉しくもあり、妙に嬉しくもなし。

今、塾で居残り補修中の息子…そろそろ帰ってくる頃だが、実は母親(妻)が手薬煉引いて待っていることを知らないだろうなぁ…。なんか可哀想である。

2007年6月20日 (水)

武和自己的迷惑

拳学に勤しんでいた頃、何の迷いもなかったといえばウソだ。

師について言えば、100%信じていた時期もあったがやはりそれは長く続かなかった。実際の立会いの中で師から学んだ立ち技は無残にも痛い思いを強いられる結果となっていた。「無駄なこと?」と鼻血をぬぐいながら考えていた。鼻が曲がって脇の痛みは骨まで達した衝撃痕を容易に感じ取った。知るためのリスク…習ったものの実践性を知るために。

怪我をした我を見て師は、「まだ早い」とも「未熟なくせに何をしているのか」とも言い、我をいさめた。強くなること…そう拳撃戦に強くなることが私のこの世界にいる最大の理由だ。それ以外に何もなかった。猛者は世界中にいる。きりがない。一番強くなることではなかった。強くなるには「己」に対して強い意思をぶつけていくこと。そう信じていたのかもしれない。師を信じるより己の信じるものに依ることだということだ。

結果として我は師と決別した。そのきっかけとなったのは、ある師に出会ったためである。

その師はそれまでのわが師の師翁に当たる人物。無断でその師に会いに行った。破門覚悟である。

その師翁は我が出門を訊くと全てを察したように…「暫く一緒に鍛錬しなさい」と声をかけてくれた。我はそれに甘んじ師についていった。

師翁の技は、かの師の言いたかったものを全て体現していた。「かの師はこれが言いたかったのだ!」とすぐに分かった。それと同時にかの師が体得したかったものであったとすぐに察することができた。「師も我と同様迷っておられたのだろう」と。

師翁は「擂台の天才」と謳われた名手で疾風の如き凄まじい速さは相対すれば分かる。打ち抜かれた衝撃は体の反対側に伝わり苦痛となる。どこをたたかれかも理解不可能なまま気付けば地面と顔がくっついている。

衝撃…まさに身体にも精神にも衝撃が走った。

これだ!これだったんだ!

師翁はニヤニヤと笑みを浮かべながら楽しそうに弟子達をばたばたと打ち抜く。もう滅茶苦茶である。我とて武士の端くれとばかりに再起。挑むが凌ぐ事すら空しく宙を舞い地に平伏すこととなった。それまで10年も武術を修行してきたものが全て無駄だったと思えるほどだった。

己の信じるものに適合した世界観がそこにあった。

師翁はかの師のことをこう言った。「彼はまだこの世界を知らない。」続けて「誰かががここに来ることは決まっていたこと。ただそれがあなただったと言うことだよ」

我は師翁に師事したいと申し入れた。師翁は快諾してくれた。

「あなたが学んだものは私と同系列なのだから、何の問題もない。彼に気兼ねしなくても良い。彼は私に何も言うことはできないのだから。」

我の世界が広がることを師翁は予想していたようだ。「多くを学び、多くの者達と交わり、拳を磨き上げなさい」と付け加え再び参門することを誓い後にした。

「三年かかっても良師を探せ」と武諺にある。

我は八年かかった。全ての答を得るべく我は京へ上ることを決意した。

2007年6月19日 (火)

故郷

  很是豪華的廟寺。

P10100540_2

Aeropuerto

Yo frecuentemente uso un avión.Sa2702170

姿勢

誰であれ一貫して報酬以上の仕事をする人は、最終的に自分の行為の価値よりもはるかに高い報酬を受け取るようになるようだ。プラスアルファの考え方と行動が伴えば、周りの人よりも優れた仕事をたくさん出来るようになる。そのことはだれでも知っていることだ。努めていれば、人々は先を争って自分ところに集まってくるし、自分自身の発展が周りの人々からかけがえのない人材だと思うようになってくるからだ。これは、自分の人生を決定しているのは私自身の人生への取り組む姿勢と考え方、決断と行動が支配しているからといえる。

外壮内観體育中心 蔡興仁

2007年6月16日 (土)

キャラウエイ高等弁務官

キャラウエイ高等弁務官というのはこの人です。

アメリカの植民地政策の実体姿勢が歴史を見ると分かりますよ。19621016

Paraguas~傘~

Paraguasが盗まれてしまった。

ちょっとお気に入りのParaguasだったのに。友人からもらったもので竿長が長く丈夫で、傘布もしっかりしたものだった。今は梅雨、いつ雨が降ってこられるかと持ち歩いていたものだった。レンタルビデオ屋でCDを借りに行って出てきてみれば「傘がない~」。

東京に住んでいるときには一度もなかったが、ここに来てこういうことが度々ある。

傘泥棒とはあまりに軽い犯罪…。でもこれってひどい話です。どういう理由にしろ、持ち主はぬれていいのか!ってことでしょう。雨が降っているから傘を拝借なんてどういう心境なのかな?軽い気持ちの中にモラルのかけらも見えない。こんなことぐらいで…とは思わない。自制心や人を思いやる心、社会のルールを守るという信念が一片たりとも感じられない。「悪い人物」ではないのだろうが、「モラルのない人」であることは確かだろう。

ここに来て何度も泥棒にあっている。何で人のものを平気で「持って」いけるのだろう。人の敷地に入って物色する姿は醜き姿であるに違いないのに…

戦争直後、進駐軍の差し出す食料に周りの大人たちは遠巻きにみていた。ある孤児は空腹だったので「死んで本々」ともらって食べた。進駐軍兵はその子供の行動に喜び缶詰などをいくつも手渡した。その瞬間、あっという間に子供の手から食料はなくなってしまった。子供は大勢の大人達に驚きしりもちをついてしまった。周りの大人たちがその子供から全てを持ち去ったのだった。「しょうがないや…」と思って立ち上がったその子供は私の父である。

戦後の混乱期の中では致し方なかった出来事。と父は当時をふりかえっていた。

今はこの文明社会の中で、高度な文化的な生活があるのに何故に世間にはそういうことをする人物が存在するのか?愚問だろうか?

私の知る国には、泥棒と告発されただけで逮捕され消息が分からなくなったということがあるというのに。混乱しているその国にはそういう厳しい法令で縛らなくては人は人としてお互いを守れないのだろう。この国には…祖父祖母たちのおかげでここまで豊かになったではないか!自由・文化・伝統があるこの国には今、一番必要な基本的な何かが欠落しつつあるように思えるのは私だけだろうか?

ポリシーやモラルがない、プライドもない。こんな国民が住む国はいずれ強硬非道な強国の支配を受けてしまうだけではないか。沖縄が植民地時代、米国キャラウェイ高等弁務官が1963年3月「沖縄での自治権は神話である」といった。そういう支配(傘)の下で生きていくことになるのだろうか?

尊厳と誇りを失ったらどんな傘の下に入ればどんな安らぎが得られるのか。

否!尊厳と誇りと力であえて濡れて歩くことを私は選択したい。

2007年6月15日 (金)

故郷

私が生まれた頃の育ったところ

400

我の中にある我

色々な自分を整理しているように、ブログを利用するのもいいかな。

果たして本当の自分、何を欲している者なのか?全てが自分自身であるならばそれを自分が受け入れることができるものなのかと…

まだ、自分の工作を述べることができない。

まだ、現在の自分自身を述べることができない。

まだまだ、経験と考えてきた足跡を確かめるように綴っていくことになりそうだ。

色とりどりの世界が今日も僕の周りに集まってくる

言葉に託す僕の思いが伝わるだろうか

指に託す僕の思いは世界に届くだろうか?

今朝も目が覚めて心を決める

光沢多彩な世界の額縁をなぞることになるのだろうか

夜色であるならば満天のキャンバスなのか?

オレンジ色であるならば甘く甘美な誘惑なのか?

水色雨色であるならば あなたの背中をじっと見つめることになるのだろうか?

ぬるめのコップに身体を沈めて 

早く自分を取り戻さなきゃと 終わりに心が恐怖する

色とりどりの世界が今日も僕の周りに集まってくる

言葉に託す僕の思いが伝わるだろうか?

指に託す僕の思いは世界に届くだろうか?

0_3ぬるくても熱が次第にコップに伝わるように

ゆっくり ゆっくり 身をゆだねて

伝わりと導きに 心をゆだねて

異国・晴天街

  遥か昔に見た風、匂いそして情熱

できる事ならずっと居たかった場所が

この地上にあるとは想像もしなかった

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2007年6月14日 (木)

掌の先とは?

掌の先とは?

Rimg00050 大学時代山登りに凝っていた。崖をよじ登っている時にどうしても、あと数センチ先のホールドが欲しい時があった。どう伸ばしてもあとほんの数センチが届かない。バランスを崩せば数10メートルまっさかさまに落ちる。勇気を出そうとすればするほどバランスが保てない。体が心の動きに反応しているのだ。死と隣り合わせ命のやり取りがかかった行動は無尽蔵に我々の身体に反応させるのだ。

「ザイルが欲しい・・・!」悲痛の叫びが頭の中でこだまする。しかし、もう許されない状況である。

苦しさと恐怖に震えながら自分を取り戻そうとする。「上るしかないのだ」その答えを早く出すことができれば掌の向こうに手が届く。

上りきった時にふと考える。出来事を反省しそして密かに自分を誉めるのだ。

答は現場という環境の中で自分にしか出せない。その答はその時その時の最善の答でありながら普遍的な形相を持つ。伸ばして伸ばして更に伸ばす先にホールドできるのだ。

外壮内観體育中心 蔡興仁

基本内観考(一)

随分昔に仲間が集まって武術のグループができた。

私が呼びかけ人だったのだが、3ヵ月後には15人ほどになった。

当時の私の師も駆けつけ特別に教授していいといってくれたが、なんせ有志だけの無銭会だったので、有料と聞いて離れていくものが続出してしまった。私の説明が悪かったのか?ただ師の専らは套路中心の太極拳と台湾系のこれまた套路中心の形意拳だったので査拳を求むる者や蟷螂拳をと考えている者にとっては不要との考え。しかし、器械は六合刀や二朗槍術を修めていた師にこれは習えないのか?と訊けば武器だけと言うのはダメで、師の主宰する套路を段階に修めて初めて修練させるという。

まったく納得のいくことであるが、他のものは不満を列挙!何故不満なのか?わからなかった。しっかり基本を厳しい師のもとで学ぶことは理があるにも関わらずである。何故?皆自由にやりたかっただけなのである。志の違いを胸に仕舞い込んで暫くは会を続けたがもはや解散は時間の問題となった。

もはや私は一人になったが師の教えを守って修練を続けた。また空手、少林寺拳法にも基本のみでそれ以外はまったく教えなくてよいという約束で短期入門したりしていた。基本のみで十分。只ひたすらそれに明け暮れた。3年という月日が流れた。大学生になっていた私は再び師の元を訪れた。師は私に基本である五行拳をするように命じた。私はそれを披露した。更に刀術と槍術を披露し、師はライトスパーリングを自分とせよと言う。私は師と立会い、すんだ後こう言われた。

「基本はできている、だが技に発展性がない。応用変化を学ばなくてはまだ幼稚なままだ」と。

私は師に問うた「師よ憚りながら質問をさせて頂いてもよろしいですか?」許しを乞い、許されると「応用とは技の複雑化・緻密化をさすものですか?」と

師は「ひたすらに学び、ひたすらに繰り返しなさい。理屈は後だ」と言った。

私はその答を己の修練にあると確信し、ひたすらに修行することに決めた。その旨を師に伝えると師は、只頷いて答えた。

一人修行の時代にある師範にこういわれた「技の持つ本質は己の感性の成長によって変わるものだ」と、またある師範は「内観によって本質の核が見えてくる」と

基本のみを修練するとき答えは「睫毛の先に真意がある」とよく言われた。存在しているのは認識の世界でけして実感がなく、そして途轍もなく近いところにあるというのだ。どうすれば?どのように行なえば?効率よくするには?という教えは一つもなく、ただ己の心のおき方だけを諭すように言われた。無心有心の反復動作。量から質への転換が求められた。私は只それに従っただけにしか過ぎない。

ある師範にはまたこう言われた。

123「答は、伸ばした腕のその掌の一寸先にある」

外壮内観體育中心 蔡興仁

理屈はあとです。

  どんな職業でもある程度の長い研修期間は必要ですね。その間に、それが何故必要かと確信できるほどの時間はまたないのですが…。

私が思うに徹底した模倣が全ての始まりではないかと考えています。偉大な芸術家同様、最初は徹底した模倣から始まって、個性はその後自ずと出てきていることがわかります。最初から個性を意識して出しているわけではないのです。

自分の行なう行動、工作、施術が何故必要かは、後から理解すればいいのです。

それを理解してできるのであれば、それはすでに研修生の域を超えていますから、研修・修行という期間は必要ないでしょう。

まず、そんな人間は私の知るところでは残念ながらいません。

一人の人間が人に為しえることができるためには、血の滲むような努力、或は極限までの妥協なき努力が必要でしょう。己の意はそこには存在してはけして為しえない行為がそこにあるからです。

プロとするならばなおさらその世界が完成されているだけに、同じプロを感心・感動させることは大変なことです。でもいつかその両極面を克服しなければ真のプロフェッショナルとはいえないといえます。だからある一定期間は「克己心」を常にもち、状況に対して「捨己従人」で、狂ったように頑張らないとその域には到達できません。

「理屈は後からついてくるもの」これはどんな職業・職種に限らず一貫した道理です。年月が流れ、過去に冷や汗をかきながら臨んだことでも今では難なくできる自分がいます。そこからは「志」の差が生れてくるのです。これがなければ只保身に勤しむことになり、真のプロとして人々を感動させることはできないでしょう。

外壮内観體育中心 蔡興仁

2007年6月12日 (火)

検索しにくいタイトルになった

検索しにくいですねー

まっいいかな?独り言のようにするつもりですから

しかし、ブログしている人ってホント多いんですね。

HPは持っていますが中々ブログって手軽です。

まぁ気を張らずにつれづれと書いていきましょうかね。

La vida 開設

Rimg00060 哲学が好きな気弱な私ですが

ブログってみました。どうぞよろしく

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    在照相机一只手 歩行街 的那样的人変多了。 我也是那样的人的一人。

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