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擒拿(Qin-na)は小生の好きな技法でありる。
「擒」、「拿」の漢字には共に相手を捕まえるといった意味のある言葉で、「擒」には捉える、罠に掛ける、 「拿」には手指を用いて掴むといった意味がある。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』引用)
「点穴」、 「截脈」、 「閉気」、 「鉄歯」様々だが小生が得意とするは点穴と鉄歯か…
昔、少林寺拳法と交えたことから、このタイプの術にはハマッてしまった。恐るべし少林寺拳法…合気道や柔術も非常に興味を示されるものであるが、力の使い方は一様に「形而下」的な引用で理を説いているように思える。それでできてしまうことで「理解」と「暗記」を昏倒している様にもおもえた。感じて体現できてしまえばまず表現などはどうでも良い。そう思えてくる。
拿が全ての技法に含まれているというから、実際は?となるが、師は意図も簡単にやってしまう。それも「散打」で、何気に、というか適当に、いや適切に…。
柔道を中等~高等の頃やっていたせいか、拿が自然に出てくる。拿にこだわらない。拳腿撃中に自然に織り交ざってくる。「楽」だ。暫らくキックのジムに通っていたことがあるが、グローブスタイルに慣れるまで時間がかかった。「体が窮屈」を訴えていた。
「んーでも体の動きがシャープになったね」と会長に言われ、確かにコンパクトになった。結構いいことかもしれない。そんなことを感じていた。
高級なはずの技術を学んでいたはずになのに「散打」するとキックのシンプルアタックで滅多打ちにされている同胞(含我)をみて、「やはり、打撃だよね」といいたくなる。
後は根性だね。
話はそれたが、擒拿は実践の時にかなり効果を発する。試合ではどうもしっくりいかなかったりするものの、実践ではどうしていとも簡単に成立するのかな?
「武術は戦略である」これは師の言葉である。
「術」として捉えたら「戦術」になるので、それは「兵卒の兵法」だという
「戦略」は「将の兵法」であるそうな。
点と点を結び行き交いするのは団戦術ということで将棋で言う「歩」なんだよね。
戦術の要はやはり「飛車」「角」だろう。しかしそれでも勝ち負けは決しない。
つまり「王」が勝敗を決定させる重要な石であろう。
王だけが四方八方に移動できる。1舛だけだがこれが一歩としたならば他の駒は全てどこか欠けている。「香車」はさしずめ伏兵の弓手か?「飛」「角」は戦車かな?あとは一歩一歩の徒兵といったところか?「桂」は身軽な馬兵?
将は全ての陣営を把握して身を守りつつ敵を打つ狙うは「将」のみ他の兵卒に目もくれずに将めがけて突進していくは雑兵の本分。手綱を操り陣営を崩し準将たちに敵将を撃たせる。
手足は兵、肘膝は兵長、肩股は準将、将は頭・我自身にある。
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