子倅
我が息子は自分で言うのもなんだが、最近よく頑張っている。
勉強の意味というか…勉強に対する心構え?姿勢が解りかけたのかもしれない。
勉学と言うからには「学問」である。自分に課せられた課題を真摯な態度で臨むことが大切なのである。それを学んで欲しい。「塾」なるものに自分から進んで入った時にはすでに志ができてきたのかもしれない。
孔子は「十五にして志学」と言った。我が子もかぞえ15歳である。何か感慨深いものがある。確か私も武術を学び、それではと学問に勤しむようになったのはかぞえ15歳であった。
ただ「勉強をしろ!」「良い点数を取りなさい!」「こんなことではろくな大人にならない」等といってもそれは見える部分でしかない。時に本質とは見えない部分がとても大せつなことがある。見えないものにちゃんと向き合うということはつまり、自分の心の世界と向き合わなければならないということである。自分の心の中の様々な自分とどう折り合いをつけるかが進むべき道を何気に進ませてくれるのである。
我が家のテレビが壊れてしばらくがたつ。
テレビなしの生活に親である私達も子に付き合うことが大切だと、わかった。
「テレビばかり見ないで!」と言ってた我々が態度を示すことなのだと。
「勉強しなければ…!」といってた我々が態度を示すことなのだと。
今、中間テストの真っ只中である。初日の昨日は?と聞いてみた。
「まぁまぁ、全部意味がわかったから…」とはにかんだ息子。
以前は「ははは…」と笑って逃げていたが、今は堂々として応えている。勉学…勉むるを知る学問を今こなしているだけだが、結果が伴うことでまた何かを学ぶであろう。
はにかんだ笑顔の向こうに自分自身の着実な進歩と成長を照れながらも感じている…瞳がそれを語っているようだった。



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