カテゴリー「評論」の記事

2007年12月26日 (水)

クリスマス

クリスマス~が国民的な行事となって我が家でケーキなどを食べたのは私が高校生になろうかという頃だったように記憶している。

しかしながら私は子供の頃「日曜学校」なる教会の行事に毎週参加していた経験があり、クリスマスと言うものがテレビで見る世界とはちょっと違うと感じていたので、クリスチャンでもない我が家でクリスマスイベントが行われないことに何の抵抗もなかった。

いわばクリスチャンによるクリスマスの祝い方からと言うのが、私にとってクリスマスだった。

もちろんクリスマスキャロル?みたいに賛美歌を歌いにいったりしたもので…

聖なるものなんだなー…と西洋の「清明祭」みたいに思っていた。

ただ断っておくが私はリクスチャンではない。教会に通っていたのは、憧れの小姐に会うためであった。とはいっても落ち着きがないはしゃいでばかりの能天気な私は彼女のメガネにかなうはずもなかった。はっきりいって三枚目と言うわけである。

いつしか引越しと共に教会には行かなくなり、はかない恋の物語も消えていった。

時が過ぎ…いつしかクリスマスにはカーネルおじさんが主流になり、埴輪顔のミュージシャンの歌が席巻していた当たりから、私の周りにもクリスマスが迫ってきていた。

クリスマス…いつしか神と平和への祈りから愛を語らう恋人たちのイベントになっていたような気がする。公の大儀から個の小儀へ…。我々が心穏やかにいられるのは恋人と共に祝うことができるのは、その住む世界が平和だからこそ。

平和を望まぬ人などいない。でもそれがかなわない人々や子供たちが世界のどこかにいる。我々の祖父母たちの時代もそうであった。そして今は平和である。いま平和でない国や地域に住む人々の未来に今日の私たちのような平和が一日でも早く訪れて欲しいと心底願うものである。

クリスマスはそんな日であって欲しいと思う。

私はクリスチャンではないが、昔神父がいった言葉を胸にこの日はいつも祈りをささげている。

「世界の人々に祝福が与えられんことを・・・」と

2007年10月16日 (火)

子倅

我が息子は自分で言うのもなんだが、最近よく頑張っている。

勉強の意味というか…勉強に対する心構え?姿勢が解りかけたのかもしれない。

勉学と言うからには「学問」である。自分に課せられた課題を真摯な態度で臨むことが大切なのである。それを学んで欲しい。「塾」なるものに自分から進んで入った時にはすでに志ができてきたのかもしれない。

孔子は「十五にして志学」と言った。我が子もかぞえ15歳である。何か感慨深いものがある。確か私も武術を学び、それではと学問に勤しむようになったのはかぞえ15歳であった。

ただ「勉強をしろ!」「良い点数を取りなさい!」「こんなことではろくな大人にならない」等といってもそれは見える部分でしかない。時に本質とは見えない部分がとても大せつなことがある。見えないものにちゃんと向き合うということはつまり、自分の心の世界と向き合わなければならないということである。自分の心の中の様々な自分とどう折り合いをつけるかが進むべき道を何気に進ませてくれるのである。

我が家のテレビが壊れてしばらくがたつ。

テレビなしの生活に親である私達も子に付き合うことが大切だと、わかった。

「テレビばかり見ないで!」と言ってた我々が態度を示すことなのだと。

「勉強しなければ…!」といってた我々が態度を示すことなのだと。

今、中間テストの真っ只中である。初日の昨日は?と聞いてみた。

「まぁまぁ、全部意味がわかったから…」とはにかんだ息子。

以前は「ははは…」と笑って逃げていたが、今は堂々として応えている。勉学…勉むるを知る学問を今こなしているだけだが、結果が伴うことでまた何かを学ぶであろう。

はにかんだ笑顔の向こうに自分自身の着実な進歩と成長を照れながらも感じている…瞳がそれを語っているようだった。

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2007年8月 7日 (火)

ヒーロー

昔、ウルトラマンだったことがある。

とてもあこがれていたヒーローだったから、ぜひ一度やってみたかったのだ。

大学の先輩の紹介がアトラクションとしてのスタントを募集していたのだ。

○谷プロの本職の一通りの面接や運動テストなるものを受けたが、インサイダー的に採用されたと思う。

期間は1ヶ月弱だったがすごくキツイスケジュールだった。

日に4回のアトラクション。でも幸せだったー(喜喜)

そういうわけではないが、我が家にはウルトラマングッツやフィギァがある。Dscf0048

あまり関係ないが…

私の故郷の屋台の様子を…久々に行ったが品切れという…残念

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2007年7月16日 (月)

3原則

人生を豊かにする3原則としてよくラテンの人々は口にする

Salud(健康)  Dinero(財産)  Amor(愛)

サルー デメール アモール

である。私はこのはっきりした定義が好きだ。

我々人間は全て是のために生きている。

他の全てはあとからついてきているだけに過ぎない。

仕事がなくなっても、名誉を傷けられても、なじられても

健康が失われた時、財産を失った時、愛を失った時に比べたら

何とかなりそうな気がする。失った経験がないとしても

もし失ったらと…考えただけでも恐怖する。

     

2007年6月28日 (木)

原因があるから結果がある。

原因があるから結果がある。

私と彼女との間の関係の中で彼女をここまでのさばらしてしまった私の態度価値の低さが結果として彼女が非常に未発達な成人のような態度にしてしまったのだろう。

かくして私としてはどうすることも出来ないので、このまま消えていくのみとします。これは彼女にとっては不利益なことでしょうか?

  私にとっては何の不都合もないのでいいのですが、彼女の現在の行動が結果として他の者達への不利益になっていることは少なからずあるかもしれません。

しかしながら、現行のやり取りは親密なる第3者が見ており、私としては彼女の行為の根底に私との過去のやり取りの結果であることはその人物の助言もあり、平静でいられることが救いである。

私の心の延長線に行動が存在する限り、そしてその行動は経験と学習として今後の生業に生かすことしかできないという普遍的な律の中で生きるのみといえる。

2_1関わりを絶てば良い事である事は承知の承知である。

全てが望ましい形であろうはずもないことは是非にもわかっていること。

形よくあろうとすればするほど型崩れし、見るも無残となる。

これが後に更に無残となろうともそれもまた、経験としてあり、墓場に持っていくしかないのだから。

外壮内観體育中心 蔡興仁

2007年6月26日 (火)

mi hijo

私には息子がいます。この息子は中学2年なのですが、只今受験に向けての進学塾なるものに通いだしています。とてもしっかりした塾なので安心していましたが、如何せんうちの息子は「嘘をついてまで遅刻をしたのが」ばれてしまいました。

私は息子をあまり怒鳴ったりしたことはなく、なんせ自分がされたことがないものですからどうしたらいいのか?分からず。ただ叱る程度ですね。

あぁ見えてもうちの息子は繊細らしく…きっと母親に似たのかな?いやいや神経質なところは私にそっくりなんですね。どういうわけか子というものは親の似て欲しくないところばかり似ているように感じてしまいますね。でも実際はまったく別の人格が形成されているはずなんですが…

私は塾に通ったことがなく、専ら家庭学習で、成績トップの姐々が家庭教師だったおかげでそんなに悪くはなかった。席次なんたら入試なんたらというのがなく普通に半ばなめてかかっていたのかな?ストレートだった。入試だの成績だので挫折したことがない。悪くてもあまり気にしない子供だったからな~。

Photoどういうわけか、教えてもいないのにそういうところは私そっくりな我が息子。

どうしようかな?変に嬉しくもあり、妙に嬉しくもなし。

今、塾で居残り補修中の息子…そろそろ帰ってくる頃だが、実は母親(妻)が手薬煉引いて待っていることを知らないだろうなぁ…。なんか可哀想である。

2007年6月16日 (土)

Paraguas~傘~

Paraguasが盗まれてしまった。

ちょっとお気に入りのParaguasだったのに。友人からもらったもので竿長が長く丈夫で、傘布もしっかりしたものだった。今は梅雨、いつ雨が降ってこられるかと持ち歩いていたものだった。レンタルビデオ屋でCDを借りに行って出てきてみれば「傘がない~」。

東京に住んでいるときには一度もなかったが、ここに来てこういうことが度々ある。

傘泥棒とはあまりに軽い犯罪…。でもこれってひどい話です。どういう理由にしろ、持ち主はぬれていいのか!ってことでしょう。雨が降っているから傘を拝借なんてどういう心境なのかな?軽い気持ちの中にモラルのかけらも見えない。こんなことぐらいで…とは思わない。自制心や人を思いやる心、社会のルールを守るという信念が一片たりとも感じられない。「悪い人物」ではないのだろうが、「モラルのない人」であることは確かだろう。

ここに来て何度も泥棒にあっている。何で人のものを平気で「持って」いけるのだろう。人の敷地に入って物色する姿は醜き姿であるに違いないのに…

戦争直後、進駐軍の差し出す食料に周りの大人たちは遠巻きにみていた。ある孤児は空腹だったので「死んで本々」ともらって食べた。進駐軍兵はその子供の行動に喜び缶詰などをいくつも手渡した。その瞬間、あっという間に子供の手から食料はなくなってしまった。子供は大勢の大人達に驚きしりもちをついてしまった。周りの大人たちがその子供から全てを持ち去ったのだった。「しょうがないや…」と思って立ち上がったその子供は私の父である。

戦後の混乱期の中では致し方なかった出来事。と父は当時をふりかえっていた。

今はこの文明社会の中で、高度な文化的な生活があるのに何故に世間にはそういうことをする人物が存在するのか?愚問だろうか?

私の知る国には、泥棒と告発されただけで逮捕され消息が分からなくなったということがあるというのに。混乱しているその国にはそういう厳しい法令で縛らなくては人は人としてお互いを守れないのだろう。この国には…祖父祖母たちのおかげでここまで豊かになったではないか!自由・文化・伝統があるこの国には今、一番必要な基本的な何かが欠落しつつあるように思えるのは私だけだろうか?

ポリシーやモラルがない、プライドもない。こんな国民が住む国はいずれ強硬非道な強国の支配を受けてしまうだけではないか。沖縄が植民地時代、米国キャラウェイ高等弁務官が1963年3月「沖縄での自治権は神話である」といった。そういう支配(傘)の下で生きていくことになるのだろうか?

尊厳と誇りを失ったらどんな傘の下に入ればどんな安らぎが得られるのか。

否!尊厳と誇りと力であえて濡れて歩くことを私は選択したい。

2007年6月15日 (金)

我の中にある我

色々な自分を整理しているように、ブログを利用するのもいいかな。

果たして本当の自分、何を欲している者なのか?全てが自分自身であるならばそれを自分が受け入れることができるものなのかと…

まだ、自分の工作を述べることができない。

まだ、現在の自分自身を述べることができない。

まだまだ、経験と考えてきた足跡を確かめるように綴っていくことになりそうだ。

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  • バナナトラック
    在照相机一只手 歩行街 的那样的人変多了。 我也是那样的人的一人。

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